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2017年10月1日日曜日

作曲家自作分析会#3 開催報告

本会の作曲家会員が自作についてたっぷりと語る「作曲家自作分析会」、今年は2017年7月16日に下落合の目白セミナールームにて行われました。
3回目となる今回は、近江典彦さん、川上統さん、篠田昌伸さんにご登場いただきました。世代も近くお互いに気心の知れた間柄のお三方ということで、今回は初めての試みとなる共通テーマを設け、最後には座談会もお願いしました。
会のテーマは、奇しくもお三方の合唱曲が東京で演奏されたばかりということもあり、「声を用いた作品」と決まりました。発表順に会の概要をご紹介したいと思います。


最初に発表していただいたのは、近江典彦さん。2014年に初演、2017年に再演されたヴォーカル・アンサンブルのための「Khon-mXahuvona」を中心に、関連する過去の作品などの紹介も交えながら解説してくれました。

この作品の特徴的なタイトルは、近江さん自身の名前の一部のアルファベットを取り出し、本曲を初演したアンサンブル Vox humana のアナグラムと組み合わせたもの。何か既知の標題をつけることで生じる、イメージの想起を避けたいという意図でこのタイトルを選んだそうです。
曲のテキストとして、フランスの数学者ポアンカレの言葉とダーウィンの「種の起源」の抜粋が用いられており、言語の異なる2つのテキストが1つの曲の中で並行して展開されていきます。これらのテキストは語順もところどころ入れ替えられており、聴衆にその内容を伝えることを主眼としていません。また、単語のアルファベットを後ろから逆再生するようにして歌う箇所もありました。
各パートの主な旋律線は、5度という限られた音程の範囲内で、微分音を駆使しながら作られています。これは近江さんが大学院時代に書かれた、木管五重奏曲「Khonrioi I」の書法をより発展させたもので、会場ではこの作品の録音も披露されました。
またハーモニーの関係は、A♭メイジャーに増4度を組み合わせた、倍音由来の和音に基づいて生み出さているとのこと。それぞれの要素が明確な論理の上に形作られていることが看て取れます。
そこに加わるのが、さまざまな子音から生み出される多彩な非楽音の存在です。これらの音は色分けされた特殊な譜頭で楽譜上に表されており、楽曲にも効果的なアクセントと豊かな彩りを加えていました。
ほかにも「長い音が嫌いで、全音符以上の長さの音は曲のなかで数えるほどしかない」、「演奏家になるべく休みを与えたくない」といった言葉が飛び出すなど、近江さんの個性がユーモアを交えて披露された、和やかな発表となりました。



続いて登場したのは川上統さん。すでに150曲以上の作品を発表されている多作家であり、あらゆる編成のために旺盛な創作を続けている川上さんですが、ご自身の中で器楽作品と合唱作品(声を扱った作品)とを区別して考えておられるそうです。

発表ではまず川上さんの音楽の紹介として、最近の器楽作品の中からクラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノのための「ラナラナンキュラス」エレキ・ギターとエレクトロニクスのための「ゴライアスオオツノハナムグリ」が紹介されました。これらのタイトルが示すとおり、器楽作品は「特定の(あるいは架空の)生き物」をテーマにすることが多く、明るくテンポの明快さを特徴とした作品が多いとのことです。
一方で、合唱作品は身体から発する声が素材になることから、「人間」がテーマになっており、川上さん自身のより内面的な表現が出ていることが多いそうです。今回はそれらの合唱作品から女声合唱のための「四面楚歌」混声合唱のための「怪獣」の二曲についてお話しいただきました。

「四面楚歌」は有名な中国の故事に由来していますが、その「楚歌」という歌はどのようなものであったのか?という疑問を出発点にした作品です。当時の楽譜などは残っていないため、京劇の中で「楚歌」が歌われるシーン、楚の項羽の愛姫、虞姫が歌ったとされる「虞美人歌」を基に作曲されました。
全11パートに分かれた女声合唱は、中心のパートを除いてすべて一人ずつで歌われます。そして唯一2人で重ねられた中心パートには、一種の定旋律が配されています。この東洋的な雰囲気をたたえた定旋律が、やがて幾つものパートに重ねられていく様子は実に美しく、また静寂とのコントラストはドラマティックな効果を上げていました。

2曲めの「怪獣」は、直接人間が主題になってはいませんが、やはり川上さんの内面が反映された音楽とのことです。「もし自分が突然、怪獣として地上に放り出されたらどうするか。きっと仲間を探すはずだ」という着想は、そのまま楽曲の構成と密接に結びついています。曲で用いられる母音のみで歌われる言葉にならない言葉たち、咆哮を思わせるロングトーンやグリッサンドといった素材は、曲の主題と強く関連付けられ、かつ音楽的にも大変魅力的な音像を提供していました。


最後に発表されたのは篠田昌伸さん近年多くの合唱曲を作曲されている篠田さん、高校時には合唱団に所属していたそうです。
今回紹介してくれたのは「『定義』からの4つの詩」、「『数奇な木立ち』からの点景」、「言語ジャック」の3曲です。そしてそれらの作品の解説に入る前に、現代の詩と音楽の関係について、篠田さんから興味深い考察が披露されました。

現代の声楽音楽のひとつの傾向として、意図的に器楽的な書法を用いたり、さまざまな特殊唱法を追求する、といった点が挙げられます。しかし、それらの現代的な声楽書法の探求は、結果的に「詩の言葉」を「音楽のための言葉」に変えてしまい、言葉本来の意味がないがしろにされているのではないか、と篠田さんは問いかけます。詩に意味があることが音の意味とぶつかってしまい、作曲家は困惑する。よってテキストを作品の象徴のように扱ってみたり、あるいは一切テキストを用いない作品を書いてみたりする―。
もちろん、それらの方向性を否定するつもりは全くないのですが、篠田さん自身は「音楽と詩が等価であるような作品」を書きたいという思いをもって、合唱曲に取り組みはじめたそうです。

谷川俊太郎の詩集「定義」に基づく「『定義』からの4つの詩」は、「詩を鑑賞するのを邪魔しないような歌」を意識した作品です。言葉の意味を定義していく硬質なテキストが、言葉に即した素直なリズムや合唱の持つダイナミズムによって自然に増幅され、詩の理解を深めています。
なお、篠田さんの発表ではそれぞれの楽曲に用いた詩のテキストが参加者に配布されており、録音を聞く際に「詩と音を両方イーヴンに考えながら聴いてみて欲しい」という篠田さんからの提案があったことも付け加えておきます。

篠田さんよりも若い世代に属する手塚敦史の詩による「『数奇な木立ち』からの点景」は、メゾ・ソプラノとフルート、チェロ、ピアノのための作品で、「器楽の書法と歌われ語られるテキストを並べてみたい」という欲求から生まれました。手塚さんの「様々なイメージにあふれた、しかしそのまま意味が通る訳ではない、不思議な詩の世界」を表現した作品からは、器楽と歌のパートがそれぞれに独立していながら、互いに引き立て合う絶妙なバランスが聴かれます。

四元康祐の同名の詩集をもとに作曲された「言語ジャック」は全7曲、演奏時間50分を超える大作です。1曲目「新幹線・車内案内」では、詩集上で一組ずつ並行に記述されている2つの異なるテキストが、2パートに分けられた歌唱によって同時に進行していきます。音の並びは似ているものの内容は大きく隔たった2つの文章が、同じタイミングで耳に届く不思議な聴体験は、まさに音楽ならではの表現であると強く感じられます。
また、魚について書かれたオリジナルの詩と、その文章の母音、あるいは子音のみを入れ替えた別の詩を連ねていく3曲目「魚の変奏」でも、音楽的なヴァリエーションと詩的な変奏が行き来する、興味深い形式感を生み出していました。



休憩を挟んで最後に行われたささやかな座談会は、いつも穏やかなお三方の雰囲気そのままに、終始和やかに進みました。
作曲を志したきっかけや現代音楽との出会いにはじまり、今回のテーマである声の書法やテキストと音楽の関わりについて、さらには今日の現代音楽への印象など、幅広いテーマで積極的に意見が交わされました。「調性感」や「引用」といった、今日耳にする機会の多いトピックへの言及もあり、話はまだまだ尽きぬ様子でしたが、名残惜しくもこの辺りで時間となってしまいました。


ご多忙の合間を縫って出演してくださった3人の作曲家の皆さん、そして会場へ足を運んでくださった熱心かつあたたかい聴衆の皆さんに、この場を借りて改めて御礼申し上げます。(記:台信)