日仏現代音楽協会主催の催しとしては第3弾となった「日仏即興演奏ワークショップ&シンポジウム」は、去る9月14日(渋谷区文化総合センター大和田練習室3)と翌15日(代官山エナスタジオ)の二日にわたって盛況のうちに開催されました。
ワークショップはまず神﨑えり講師の指導による鍵盤楽器ソロの即興演奏クラスによって始まりました。計9人の受講生は事前に「何を学びたいか」を神﨑講師とメールで相談していたこともあり、調性と機能和声の典型的な和声進行(T-S-D-T等)に基づく初歩的なキーボード・ハーモニーの練習に始まり、ドリアやミクソリディアといった教会旋法に基づく連弾の即興演奏、幼児のピアノ教育における即興的伴奏法の提案、伴奏形のヴァリエーションを増やしたいという相談など、その内容は受講生によって実に様々でしたが、神﨑講師は終始笑顔を絶やさず楽しい雰囲気の中に実に的確な指導をされていました。なかでも神﨑講師の母校でもある国立音楽大学を首席で卒業されたピアニストの瀬川裕美子さんは、全音々階や移調の限られた旋法第2番を用いた即興演奏や、その場で提示された写真(日本庭園や寺院建築)にインスピレーションを得る現代的な即興にもチャレンジしていて、聴き応えがありました。
筆者夏田も受講生の1人として半枠だけ参加させていただきましたが、「他の誰からも希望がなかったので」という理由で即興でフーガ(!!!)という難題を課され、調性によるフーガ(神﨑講師により与えられた主唱は何と「渡る世間は鬼ばかり」笑)と旋法によるフーガ(主唱は神﨑講師が音楽院のクラスで先生に与えられたことがあるという「L'homme armé」由来のものと思われる旋律)の二つに挑戦 、古来その手のものを見事に弾きこなしたと伝えられる大バッハ他はやはり凄かったのだなあ...と身をもって思い知らされる羽目になりました(※)。また残った時間で、一つのテーマを和声や伴奏形を変えつつ古典派風とロマン派風に弾き分けるということにも少しだけチャレンジさせて頂きました。
(※実際は講師の神﨑さんも賞賛するすばらしい演奏でした。事務局 台信)
続く大石将紀講師の指導による集団即興演奏クラスでは、ピアニスト2人、サクソフォニスト2人、打楽器1人の計5人が、既存のシステムや特定の様式等に基づかない、所謂フリー・インプロヴィゼーションに挑戦しました。大石講師の指導はまず限られた素材(一つの音やトリル、トレモロetc.)を用いて個人個人がcrescendo-diminuendoを作り出すことから出発し、それらを集団で重ねてより大きなレヴェルでのcrescendo-climax-diminuendoを形成することへと導かれました。そして異なる楽器間で音の「形」を模倣し合ったり、提示された音の特徴と反対の特徴をもつ音を瞬時に返したりという様々な練習法が提示、実践されました。それらは単に即興演奏のためのトレーニングということを超えて、音というものを単にピッチとしてだけではなく、音色や肌触りといったものを含めた"音そのもの"として聴き取る、という音楽家の耳にとって誠に刺激的かつ本質的な体験だったと思います。
受講生5人は最後にA-B-Aという大枠としての3部形式を想定しつつ、しかしそれぞれの部分の音楽素材はその場で主導権を担う誰かに任される(予め素材を決めて皆で共有してから始める訳ではない)という集団即興演奏に挑戦しましたが、この日がこの5人で初めてのセッションとは思えないなかなかの出来映えだったと感じられました。
シンポジウムはミニ・コンサートと一体化した形で進められました。まず夏田が企画の意図と西洋音楽の歴史における即興演奏の位置づけを簡単にお話した後に、神﨑、大石両講師によってお二人が在籍されていたパリ音楽院のふたつの異なる即興クラスについてお話し頂きました。次に、講師のお二人には前々日の夜に告げられたふたつのお題―「雨」及び 「✓ 型の図形」―によるソロの即興演奏を披露して頂きました。神﨑さんは雨の降る様子を模したと思われるオクターブの反復や✓ 型音形をそこかしこにちりばめながら、全体としての音域の変化が✓型になっているというとても美しい即興演奏を聴かせて下さり、大石さんはサクソフォーンの様々な音色や特殊奏法、管楽器の身体性を活かしながら、二つのお題を巧みに音楽の中に織り込んで下さいました。
続いて、同じお題を用いて作曲された台信遼さんの新作「秋霖抄」が協会会員のピアニスト大須賀かおりさんによって見事に初演されました。演奏後は会場に台信さんの楽譜が配布され、作曲の意図や方法論(お題をいかに用いたかだけではなく、どのように即興演奏との差別化を図ったか等)の説明があり、この静謐で美しい作品を今一度スコアと共に鑑賞しました。
二番目の実演コーナーでは、まずサイレント映画に即興で伴奏するという活動も頻繁にされている神﨑さんに、これも数日前に彼女にお渡しした昔話「一寸法師」を、その朗読に合わせて即興演奏をして頂きました。朗読を担当した夏田が1ページ飛ばしてしまう(有名な「お椀にのってどんぶらこ〜」を省いていきなり京に到着してしまうことに…!!)ハプニングにもかかわらず、絵本を譜面台に置いた(この時普段とは逆向きの「本」めくりをして下さったのは大石さんです!))神﨑さんは、先ほどとは一転して伝統的なスタイルや引用も用いながら活き活きとした楽しい音楽を見事に綴って下さいました。
続いて大石さんが、図形的な記譜を用いて書かれたモートン・フェルドマンのチェロ作品「Projection no.1」をサックスで演奏して下さいました。元々の楽譜はハーモニクス、アルコ、ピッツィカートという3種の奏法別に、おおよその音域と時間進行を示す四角い枠の中に記してあるというもので、大石さんのレアリゼーションでは弦楽器の3つの奏法がそれぞれサクソフォーンの息音、通常奏法、スラップに置き換えられていました。こうした図形的な記譜による作品の解釈、演奏は純然たる即興演奏とは異なりますが、しかし大石さんや大須賀さんのように現代作品を頻繁に奏される演奏家にとっては、好むと好まざるにかかわらず演奏の場で実際に対処しないといけない問題です。この後台信さんや大須賀さんからこのような図形的楽譜の作例がいくつか紹介され、物珍しさもあって反響を呼んでいました。
こうした実演の合間に交わされた討論の場では音楽にも詳しい哲学者でいらっしゃる村上祐子さんにもその輪に加わっていただき、即興演奏と作曲された作品の違いやそれぞれの利点、即興演奏をする/しない音楽家としてのそれぞれのスタンス、コンピュータなどテクノロジーを用いた即興演奏や作品演奏における生身の演奏者としてのアプローチ、言語と音楽の比較検討、作曲家と演奏家との関係性、といった広範な話題が、受講・聴講生からの質問も交えながら話し合われました。個人的には即興演奏をしない演奏家の一人であるピアニスト大須賀さんの「日常的に多くの新曲の譜読みに追われる中で、時に自分が音符を読みとる機械であるかのように感じられることがある…」という意の発言が、逆説的に今回私たちのような音楽家の協会で即興演奏をテーマに設定した企画を催した意図を、的確に浮かび上がらせていると感じられて印象的でした。
最後に神﨑さん、大石さんのお二人によるデュオの素晴らしい即興演奏が披露されてこの催しは閉じられましたが、洗練された響きを用いて説得力のある音楽の流れを作り出しているこのような即興演奏は、前もって知らされていなかったら「書かれた作品」と殆ど区別がつかないのではないかとも思われ、それはまた作曲家としての仕事が一体何であるかという問いを改めて投げかけられているようにも感じられたのでした。
聴講生の中には遠く九州からこの催しのためにお越しいただいた方もいらっしゃいました。ご参加頂いた受講生と聴講生の皆様、講師のお二人はもちろんのことお忙しい中企画にそれぞれの立場からご参加頂いた台信さん、大須賀さん、村上さんにこの場を借りて心より御礼申し上げます。
(事務局 夏田記)